ハルヒ時々志村貴子

chidax2006-05-01

例えば、樹木のことを考えると、それは地面から上に幹が延びて、幹が枝に次々にわかれていって、その先に葉っぱがついているもの。幹と枝は茶色の種類が多く、葉は緑色を呈していることがほとんど。地面の下には根と呼ばれる樹木の土台を成す、樹木本体を支えるものが埋まっていて、そこから水分や栄養を吸収していく。樹木はその一生のほとんどを光合成と呼ばれる生命活動に当てていて、二酸化炭素を吸収して酸素を放出し、養分を蓄える。さらには、幹や枝には葉脈が張り巡らされ、樹木全体に養分や水分を循環させている。葉が緑色に見えるのは、葉の細胞に含まれているミトコンドリアの色が現れていからであり、このミトコンドリア光合成を行う主体である。葉の細胞は、細胞壁の内側に細胞質やミトコンドリアリボソーム、染色体などが含まれる構成を取っていて、植物特有の細胞の成り立ちをしている。つまりはこういうことだ。重要なのは見たままの状況やら姿形をありのままに受け取ることにあるし、どれだけ考えても、人間が作り出した要素に分解されていくだけで、なにも答えに結びつくことにはならない。答えになんかたどり着かなくても良いのかもしれない。暇な日曜日の昼間に起きてそのまま何もすること無く布団の中で宇宙のことについて考えてみると、どう考えても自分から現実が離れていっていることに気がつくことになる。そうしているうちに、村上春樹-像の消滅 読了。気に入ったのは、「眠り」。眠れなくなった幸せそうにみえる主婦の話。夫と息子は彼女が眠れなくなっていることに気付かずに同じ気に食わない顔でぐっすりと眠っている。そんな彼女の何も変わらない人生の、僕らには何の意味も無い日常の話。彼らは私の車を倒そうとしているのだ。像は消滅している訳が無い。
春眠が暁を覚えないままもう五月。見事にGWに一度も休日がないことが判明。哀しい。猫はどんどん増えていくばかりなのに。

暇なのかどうなのか、久しぶりに村上さんに強くアダプトしている日々。そういえば読んでなかったなーというのがとてもたくさんあった。結構エッセイおもひろい。このひと、無駄に日々を描くのがうますぎる。そのままボストンマラソン位出られそうな気になってくるの。うずまき猫はもう見つかったかい?だって。もうCADオペレーターな毎日にも飽きてきたし。