デスノ

chidax2006-10-04

今晩はとてもさむいな、と思っていたら、案の定風邪を引き、メール返ってこないな、と思ったら、予想通り携帯は止められていて、随分長いこと待たせるな、と思っていたら、試験官のほとんどが日本語を喋っていた。
というような秋の一日に、七輪で牡蠣を焼いて食べさせてくれる"やさしい"先輩がいたりするんですの。
前から読んでも後ろから読んでも西尾維新。いつのまにか読んだ著作3冊目、ついつい道楽で読んでしまうけど、内容はとてもシンプル。わかりやすい。美少女と戯言と少しのミステリーがあれば、つまりは小説になるのだということ。
そうそう、Lにメロメロ。
死神ついでに彼等の精度についても考えることになった。死神には精度という尺度は必要なくて、むしろ音楽と渋滞に対する嫌悪と人間の振る舞いに対する好奇心だけあれば、どれだけ殴られても平気。彼らに指示を出す側(なんて呼べばいいんだろう?)にも、精度は求めない(はじめから100%なのか)が、情報の開示を求めることができる。どちらも、死神がいる。という前提から始まって、ノートに名前を書けばそいつは死ぬ。だとか、彼等は人間の姿をして、死んでいいのかどうか判断する。という制度を指定した瞬間に、突然広がりを見せる類の話だと思う。最近、そういう広がりを予感させる前提や制度が、物語の面白い要素を自然とかき集めてしまう要因なのかな。とか思い出した。種、というか起爆剤、というか、ですの。

so,we can need your accuracy and anbiguity of death note.